今日は午前中、4月中旬にメインストリーム協会に被災者募金に来ていた郡山オフィスILの宮下さん達が生活介護をやっている「たいむIL」を訪問しました。
こちらがたいむIL。一戸建てのオシャレな事務所でした。結構広い |
そこには養護学校を卒業してからやってくる若い利用者達が多くいました。
宮下さんおすすめのイケメンCPもいました。
もともとここは福島の赤鬼・青鬼という青い芝の会の人たちが運動をはじめたところでまさに鬼ヶ島とよぶにふさわしいところ。
ぜひ、行ってみてください。でも、意外と宮下さんもいるので、竜宮城のようなところです。
そして乙姫の宮下さんに見送られながら次の目的地へ向かいます。
メインストリーム号のドライバーは、なんとこの人! 西宮メンバーを裏切り、東京まで新幹線で行った佐藤です。 罪滅ぼしのつもりか-? |
ナビ通りに走ったら、こんな細い山道へ。 対向車がないので、ガンガン走っていたら、あとできんちゃんに飛ばしすぎ!と言われてました。 |
津波の被害を大きく受けた、TVで地震速報をよくみる南相馬市に向かいました。
そこでは「ぴーなっつ」という自立生活センターの青田由幸さんに同行してもらい、津波の被害を受けた場所に連れて行ってもらい話を聞きました。
老人ホームの前で青田さんにお話を聞かせて頂きました |
最初に行った場所は、目の前に老人ホームがあり少しだけ高地にあった道路で話を聞きました。
そこは本当にわずかな高低差でしたが、そこに上がれなかった方は全員なくなってしまいました。なかでもベッドが水面に浮かび引き潮にのまれまいと職員の方がベッドを必死につかんでいましたが、引き潮のすごい勢いによって手を離してしまい、渦に飲まれていく入所者をどうすることもできず、ただ見ているだけしかできなかったそうです。
奥に海が見えます。津波がくる前は、集落がいくつもあったので、この場所から海は全くみえなかったそうです。 |
次に烏崎という地区に向かいました。
元々ここは漁師町で300以上の家が建っていましたが、訪問したときにその話を聞いてもまったくそのイメージができない現状でした。
烏崎地区。漁師町で立派な家が隙間なくびっしり建っていたところだそうです。 いまは、このように全く何もありません。 |
コンクリート造りの公民館があり、それだけがぽつんと建っていました。
2階建てのこの屋上に登った人は流されてしまい、その裏に建っていた電波塔に登った人は助かったそうです。
これがその建物。 屋上の上を超えて津波がやってきて、あの電波塔の上まで登った人しか助からなかったそうです。 |
ここにはまだ800人以上の方がいまだ見つかっていないそうです。
漁師町だけに自分の船で逃げようとした人もいますが、ロープを外している間に波にのまれてしまった人もいるそうです。
瓦礫のあちこちで、この赤い丸印をみかけます。 これは、ご遺体が見つかった場所だそうです。 本当にたくさんあるのです。 |
漁港も見に行きましたが、コンクリート造りの漁協は跡形もありませんでした。
これがその漁港。漁港だったとはまったく思えない状況です。 |
その後「ぴーなっつ」に帰って青田さんの話を聞きました。
南相馬市は人口7万人といわれていますが、原発の影響で多くの人が避難し、約1万人の人が残っていたそうです。現在は原発の先行きが不透明にもかかわらず、避難所暮らしの困難さ、自分の家に帰りたい人たちが戻ってきて今は4万人の方が南相馬市で暮らしています。
青田さんが言うには、人が避難していけば医者や介助者も避難するので、残っている人は重度な障害者、高齢者やその家族となり。支援が必要な人が残り、支援ができる人が出ていってしまうという悪循環になっています。
僕たちからの質問として「今求めるものはなんですか?」
ということに対しての答えは「原発を早く止めて!!」でした。
経済が進まない、買う人がいない
↓
売らない。
↓
ここにいても仕方がない。
↓
こんな状況が1年も続けばこの街は死んでしまう。
そして青田さんが何度も言っていたのは、地震から30分で避難しないといけない。
最初の地震は5分間続き、その後余震10分。残り15分で津波が到着してしまう。
最後に青田さんが「この街は死んだ場所ではないんです。元気に生きてます」と強く言っていたのが印象的でした。
本日最後の訪問先は宮城県名取市にある、メインストリーム協会とも関係の深い人たちが働く「ドリームゲート」に行ってきました。
夜遅い時間にもかかわらず、懐かしい面々が暖かく迎えてくれました。
そこで歓迎会を開いてくれました。
ドリームゲートの藤本パパ。 阪神大震災のあと、メインストリームがプレハブでやってたころにやってきて、 事務所の泊まり込んで手伝ってくれました。 |
懐かしいメンバーと話に花が咲き、最近の活動などを報告しもらいました。
今日僕たちはここに来るまで、被災地に行っていったいどうなんだろう?と思っていました。実際僕たちは何もすることはできませんでした。
でも、今後青田さんや支援活動を行っている多くの人たちの伝えてくれた事を少しでも多くの人に伝えていきたいと思います。
☆ おまけ
移動中のひとコマ。 アウトー! |
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