2011年5月16日月曜日

被災地巡り最終日 被災地障害者支援センターいわて

被災地巡り最終日 被災地障害者支援センターいわて

被災地巡りも今日でとうとう最終日になってしまいました。
今回の被災地巡り、最初は本当に行っていいの?って思っていた僕ですが本当に来て良かったなぁと思います。
今日のブログは本当是非最後まで読んでもらいたいなぁと思います。



今日は仙台を出発し→気仙沼→陸前高田→被災地障害者支援センターいわてに行ってきました。
気仙沼はフカヒレの生産、水揚げ日本一の東北の事をよく知らない僕でも知ってるほど名の通った町です。ここまでの道中車内はワイワイ盛り上がったり疲れで寝ている僕たちでしたが、市役所をすぎカーブを曲がった瞬間町は廃墟になっていて、僕たちは言葉を失ってしまうほどでした。
漁港があって、繁華街がある賑やかそうな町が想像できるこの気仙沼は建物の一階部分が津波にはぎ取られ、船が街中に突き刺さり、道がなくなっていました。



津波によって信号機もグチャグチャ



賑やかな町並みは今はもう・・・



オブジェではなく打ち上げられた船


考えられない津波の力、こんな大きな船も
打ち上げてしまいます。







気仙沼から陸前高田に向かう道中、カーナビが指示した道には大型の船が横たわり引き返さなくなる事態にもあいました。

道をふさいでしまっている座礁した複数の船



陸前高田周辺で僕らは道の駅で昼食&トイレ休憩をする予定でしたが、道の駅どころか町全てがなくなっていて、道の駅があったであろう所すら僕たちは見つけることができませんでした。

陸前高田は跡形もなく、、、、。

本当はこの沿岸部を北へ上がって行き被災地センターに向かいたかったんですが、カーナビに示された道はなくなり陸前高田から直接被災地センターへ向かうことになりました。


新しい迂回の道路ができてました!

道路が無くなって












被災地障がい者支援センターは岩手県盛岡市にあります。
岩手でも有名人の畑先生!岩手のファンとツーショット!
盛岡は地震の影響が少なく町は正常に機能していました。ガス・水道・電気のうち復旧を必要としたのは電気で、それも2日あれば復旧されたそうです。
被災地センターの今川さんは雪が降っていたのも忘れるくらいの心境だったそうです。


震災から今までの活動報告中

この被災地障がい者支援センターいわては4/12に立ち上げられました。
代表はメインストリーム協会に来たこともある今川さん。今川さんはTRY2000の箱根峠越えも僕と一緒に経験しているんですよ。
その今川さんが説明してくれました。

お久しぶり!!今川さん!!!


ボランティアは10名で、1週間以上来てくれる人を募集しています。
ボランティアは2班から3班にわかれ、2人一組で一人が見守り等の介助
に入り、もう一人が避難所をまわり支援の必要な障がい者を捜しに行くという活動を主にやっているそうです。
活動が大変なのは避難所が沿岸部にあり、道も悪くそこに行くまでに3時間以上かかります。活動は日曜以外の11時から15時ですが、そこから事務所に帰ってきてミティーングをし、帰るころには真っ暗になっているそうです。
最後にゆめ風の八幡さんが僕たちのまわった3つの被災地障がい者支援センターのそれぞれの活動を説明してくださいました。

ゆめ風の八幡さん(左)、神戸から来ているボランティアの山下さん(右)
このあとの八幡さんの話から、今後の活動の話に発展していく。


JDF被災地障がい者支援センターふくしま」

ふくしまは人員、JDFと連携がとれていて、主体性を任せフォローをつとめることができる。

「たすけっと」
北側には拠点があり、ニーズをフォローしていける。
南側には拠点がなく、地元団体の拠点をつくりたい状況。
地元が盛り上がるのを待っている。


「被災地障がい者センターいわて」
地元の団体を作りたい。活性化が必要。



今までにもずっと思っていたけど、東北の町では障がい者を見かけることがなかった。
気仙沼では僕たちを見て「おい、被災地に障がい者がいるぞ」と言われんばかりにじろじろ見られました。
東北の障がい者は今どこにいるんでしょう?
今日聞いて一番驚いたのは障がい者は離れに隠されて育てられていたり、施設に入れられているということでした。
そもそも「自立」の概念すら知らない。
まるで僕たちが支援しているアジアの国々のような状況なんです。
八幡さんは「入居施設に慣れすぎている」と言っていました。

今回の地震で「やっと施設に入れた」「施設にいて津波にあわなくて良かったね」ってことを言われかねないようなほど事は深刻です。

これを打開するためには障がい者がどんどん町へ出て行く。
障がい者が被災地を、避難所を、施設を訪問するという活動が必要。




僕はこの話を聞いているうちに今回の被災地巡りがいかに大切なことだったかを認識しました。
色々な人が来て、色々な事を考えが出てきて、これから何をするべきか見つけること。
これが僕たちが来た理由なんだって。そしてこれを持ち帰ってまた多くの人に広める。
今本当に必要なのは障がい者こそが町へ繰り出していくこと。

この町を本気で障がい者が当たり前に暮らせる社会をつくること。
今日も崔さんはいつもの癖である電話をしたことがきっかけで、DPIの三澤さんと電話をすることになりました。
三澤さんが何を言ったのか僕にはわかりませんが、今川さんは涙を流していました。
三澤さんは震災後すぐに被災地支援をよびかけ、最初の集まりで「僕の最後の仕事はこれだ」とみんなに話したそうです。そして、救援本部が立ち上がりました。


色々なところ、沖縄、西宮、大阪、名古屋、東京から集まった僕たちは、色々な事を考え、やることが生まれました。

今後東北の私たちがどんどん行き、町を練り歩き社会を変える活動が始まります。

阪神大震災の時、メインストリーム協会は大変な被害を受けました。
そのときメインストリーム協会のメンバーはたくさんの支援を受け、そしてめげることなくむしろ盛り上がって、一丸となって今にいたっています。


この毎日の交流会も今日で最後。さびしいなぁ


東北が変わるのはまさに今この時、この瞬間だったんだって、僕は将来言うことになると思います。そんな場所にこれて本当に良かった。
この旅で僕は本当にたくさんのすばらしい人と言葉に出会えました。
「南相馬は死んでなんていません、元気にやってます。」

「もの見たさで来てくれるんでいいんです。自分で見ないとわからない。」

「気持ちが弱いから避難せず残ってしまった私が、日々思いつきでやってきた。」

「 さよならって三回も言ってるのに、まだここにいるんです。」

「僕の最後の仕事はこれだな」

必ず、伝えます。






町の至るところにあるこの言葉、ぐっときた。

これって歴史的写真になる予感






☆おまけ☆


ゴメンよ!ロメオ!浮気しちまった!

今回俺たちを運んでくれた2台の車
夕日が似合う奴らです。





沖縄の3人娘!俺の宝っす!

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