みなさんこんにちは、まっさんです。
いきなりですが実は僕、先週の6日で故郷の和歌山の施設を出て、丸10年になりました。
この10年、筋ジス病棟での生活、そして自立してからの生活と自分の人生の転機になるポイントがいくつかありましたが、今日はちょうど10年前の和歌山の施設を旅立つときのことを少し書きたいと思います。
施設時代の写真 |
新人研修でこの話を聞いたことがある人もいるかもしれませんが、和歌山の施設を出ることになった理由をまず書きます。昔は65歳になると老人ホームに行かなければならなかったのですが、当時その法律が撤廃されたため、高齢の利用者が増えていました。当然、医療的ケアが必要な人も増え、医療ケアができる看護師の人手が足りなくなってきたという事情があったのです。施設の友達と離れ離れになるのが嫌で、施設に残れないかと交渉したのですが、残念ながら状況を覆すことはできませんでした。
そして出発の日の朝、最後のご飯を食べたのですが、実はその時の食事介助をしてくれた女性スタッフが偶然にも僕の初恋の人でした。ちなみに告白はしたのですが、あえなく撃沈しました(笑)
それから妹の赤いファンカーゴという車で出発したのですが、なぜか友達の見送りがなく、さらに皮肉なことに満開の桜の景色が眼に映りました。
…というちょっと悲しい終わり方ですが、実はこれ加山雄三と谷村新司の「サライ」という曲の歌詞にけっこう似ていまして、その歌を聞くたびに当時のことをよく思い出します。まあ歌詞の中の汽車の所は僕の場合、船での移動でしたが(笑)
あの出発の日から10年。今は兵庫県民、西宮市民として自立生活を満喫しています。きれいな桜も今は楽しんで見れます。あとは一日も早いコロナの終息を願います。
我が家の駐車場の裏の桜 |
来年こそはみんなで盛大に花見したいなー。
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