2011年5月14日土曜日

被災地めぐり 1日目 JDF被災地障害者支援センターふくしま訪問

 
みなさん こんにちは。ひろしです。

僕たちはいま(5月12日)、福島県郡山市に来ています。
ここには、「JDF被災地障害者支援センターふくしま」があります。
ここが被災した障害者の復興の発信地です。

ここに来ることになったのはメインストリーム協会の佐藤が4月に被災地をまわり、
被災地で支援活動をしている人にお話を聞く中で、
「被災地に障害当事者をたくさん連れてきて欲しい。津波の被害地や、支援活動をみてもらうことは、これからのまちづくりを考える良い機会になるので、ぜひ、次はたくさん連れてきてください」という声から企画したものです。

郡山駅に集合!西宮からはるばる700km走って来ました!



今回はJIL、DPI、名古屋、沖縄、大阪、東京などいろんな地域の自立生活センターのリーダーが集まり総勢18人の大所帯です。
メインストリームからも、佐藤、畑、真名野、松島、そしてアテンダントリーダーのうさ君も休みを取って同行しています。

車は2台のリフトカー。
被災地への熱いメッセージを車体に書き込んだAJU号、そしてわれらがメインストリーム号です。
西宮を出たのは5月10日(火)の24時!
西宮から盛岡を最北端として「車で行く、2500キロの旅!!」です。

JDF被災地障害者支援センターふくしまで、代表の白石さんから活動報告を聞かせてもらっています。



<今日からの予定>
5/12(木)JDF被災地障害者支援センターふくしま 訪問
5/13(金)南相馬市、津波被害視察。デイさぽーとぴーなっつ訪問。
       名取市ドリームゲート訪問。
5/14(土)仙台市・名取市の津波被害地視察。
       被災地支援センターみやぎ(たすけっと)訪問
5/15(日)岩手県津波被害地視察。
       被災地障害者支援センターいわて訪問

という日程で被災地をまわってきます。

今日から事務局日記の中に、毎日交代でブログを書きます。
普段の事務局日記もありますので、それと僕らの被災地訪問の2本が毎日掲載されます。
ぜひみなさん読んでくださいね。


被災地の障害者の状況ってニュースでもほとんどしないし、みんなどうしてるのかなんてしってますか?

いまだに全貌はわからないんだそうです。それをどうしていくか日夜考えているのがこの支援センターです。
東北がこの震災によってとんでもないことになっている事はわかっているつもりでした。ここに来て僕の思うとんでもない事とは次元の違うとんでもなさがあるんだと、いやむしろ浅はかすぎたと思わされる一日でした。

AJU号の前で、白石さんと記念撮影。今回の訪問団フルメンバーです。
雨が降ってたので、長位さんがてるてる坊主になってますね~

 たくさんの話を聞いた中で僕が気になったのは、障害者の所在がわからないという事でした。
生きているのか、避難したのか、どこに避難したのか、県外か、県内なのか?それがわからないんです。自立生活センター、事業所での聞き取り、町へ張り紙、医者や施設、養護学校の卒業名簿などいろいろなツテを伝って行くという努力をしていますが、その全貌がつかめていないという状況の打開がとても大きな課題だと言っていました。

進まない理由として個人情報保護法の開示が難しいこと。避難所に行くことができないことというのにはびっくりしました。
これだけ支援を望んでいるだろう人を探しあてる事が出来ない理由として、行政の融通のなさがあるんだってことが単細胞な僕には理解できませんでした。理解せざる終えないんだけど、なんて面倒くさいという点で。

夜は郡山のみなさんと交流会。先月西宮に来て下さったみんなさんもお元気でした。



誰よりも被災者にとって必要な支援をできそうな状況なのに、支援先がみえないんです。
これはもはや自然災害ではなく社会が作り上げたいろいろな決めごとによる柔軟性のなさなんじゃないのかと思いました。一刻も早く全貌をつかみ、必要な支援が全ての人に行き渡ることを心から思いました。

支援センターの方々は本当に熱心に話をしてくれました。
ここに書きたいなって思うけど書ききれないほど悲惨な出来事、もし被災した時僕たちはどう行動するだろう?という自分への問いかけも含めて本当に考えさせられる一日でした。

おーっとこの人はシュプレヒコールでおなじみの大阪の平下君。
JIL副代表としてやってきました。

支援って物資がそろってそれが届けられたらそれで全てうまく行くんだろうなんて簡単に思っていました。しかし、それを行き届かせるために頑張っている人たちは、いつ原発がとんでもないことになるか分からない危険な状況の中でも「僕たちはここでやるって、腹をくくったんです」と強く言っていました。震災を経験したメインストリーム協会もたくさんの支援があって今にいたっています。僕はいなかった頃だけど、あの頃は建て直すことなんて想像できてなかったんじゃないかと思います。
今後どうなるかではなくとにかく今何ができるかということを考えている、絶望の中にある希望を目の当たりにすることができて本当に良かったと思います。

あ!今揺れました。被災地より

明日は津波の現場に行きます。
ホテルに戻ると、ラーメンがただでサービスされていることを発見! やっぱりこうなりました




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