みなさん、夜遅くにごめんなさい。
最近、僕は日にちが迫っている企画に向け、自立してからの日々について色々振り返っています。
その中で、様々な写真を見返すことがありました。
今回は普段の事務所から離れ、僕の思い出の写真を紹介したいと思います。
この頃の僕はコミュニケーションが非常に苦手で、まともに人と会話できない感じでした。
それまで家にずっといることが多かったので、どうやったら良いのかわかりませんでした。
まあ、今でも微妙ですがね(笑)
しかし、自立したからこそ痛感できました。
やはり、重度障害者は自立してこそ、本当の人生の始まりですね。
最初は、アテと関係を作るのが苦手で、時にはぶつかることもありました。
でも、ぶつかってくれた人がいたおかげで、成長できたと思います。
試行錯誤の日々だったなあと思い出します。
そんなスタートを切った僕ですが、自立生活にも慣れてきて、小さいころからの夢を実現させました。
2002年9月
僕が自立を始めたきっかけは、大学進学でした。
重度障害の人生を変えるには、勉強して資格を取るなりして、仕事をしないとダメだと考えていたからです。
しかし、メインと出会い、考え方が大きく変わりました。
別に勉強なんかしなくてもよい。だって、世の中勉強する人しか地域で生活できないかというと、当然そんなことないでしょう。
人が地域で自分らしく堂々と生きていくことは、誰にも与えられた当然の権利です。
それを実現させようとしている、自立生活センターの活動に魅了されていきました。
TRYとか、上限撤廃交渉とか、メインのイベントとかに関わるにつれて、ここで活動したいと思うようになりました。
さらに、自分を大きく変え、もっと成長させてくれるにはここしかないとの思いがありました。
そして、自分の生き様を見せることで、多くの人の心を変えるような人間になりたいと思いました。
残念ながら、まだその域には達していません。人生すべてをかけていく必要があるでしょう。
結果として、大学は留年することになりましたが・・・
2004年5月
メインのスタッフになりました。
しかしその矢先、段々呼吸が衰え始めました。そして、人工呼吸器ユーザーのフォーラム(今夢宙センターがあるオスカードリームで開催)に参加したことをきっかけに、呼吸器を着けることになりました。
2004年6月末のことでした。
呼吸器を着けてどうなったかに関しては、またいつでも僕に聞いてください。
また、3月8日のイベントでも少し触れることになるでしょう。
2006年5月末 人工呼吸器利用が24時間に
ここが、僕が精力的になるスタートラインです。
国際協力で様々な国へ行ったり、研修生と遊びに行ったり、運動にもっと関わったり・・・・・・
夜遅くまで、事務所にいることも増えました。
本当にメインでの活動が楽しくなりました。
今日までの僕の活動をざっと見ていきましょう。
あと、交渉とか様々ありました。
挙げればきりがないので、この辺にしておきます。
事務局日記、海外支援日記等で調べてみてください。
僕の活動はまだまだ進行中です。
これから何十年と続けていきたいところです。しかし、一番大事なことは、自分の役割を最大限はたしていくことです。
特に、人工呼吸器を取り巻く社会環境はまだ厳しい状況です。僕の人生を全て費やしても、完全には変わらないでしょう。
でも、何かをやらないと社会は変わりません。
一度、挫折した呼吸器の活動を今度こそ絶やすことなく続けていきたい。
今日はブログの場を借りて、今の僕の気持ちを綴らせていただきました。
最後に、今の僕があるのは多くの人の支えのおかげです。これからもよろしくお願いします。
最近、僕は日にちが迫っている企画に向け、自立してからの日々について色々振り返っています。
その中で、様々な写真を見返すことがありました。
今回は普段の事務所から離れ、僕の思い出の写真を紹介したいと思います。
1999年5月 自立生活スタート なんか変な笑顔ですね・・・ まだ何も知らない感じです。 |
この頃の僕はコミュニケーションが非常に苦手で、まともに人と会話できない感じでした。
それまで家にずっといることが多かったので、どうやったら良いのかわかりませんでした。
まあ、今でも微妙ですがね(笑)
しかし、自立したからこそ痛感できました。
やはり、重度障害者は自立してこそ、本当の人生の始まりですね。
最初は、アテと関係を作るのが苦手で、時にはぶつかることもありました。
でも、ぶつかってくれた人がいたおかげで、成長できたと思います。
試行錯誤の日々だったなあと思い出します。
そんなスタートを切った僕ですが、自立生活にも慣れてきて、小さいころからの夢を実現させました。
2002年9月
今まで僕が行った最高標高地点です。 |
今にも天に召されそうです(笑) が、まだまだ僕は元気です。 |
僕が自立を始めたきっかけは、大学進学でした。
重度障害の人生を変えるには、勉強して資格を取るなりして、仕事をしないとダメだと考えていたからです。
しかし、メインと出会い、考え方が大きく変わりました。
別に勉強なんかしなくてもよい。だって、世の中勉強する人しか地域で生活できないかというと、当然そんなことないでしょう。
人が地域で自分らしく堂々と生きていくことは、誰にも与えられた当然の権利です。
それを実現させようとしている、自立生活センターの活動に魅了されていきました。
TRYとか、上限撤廃交渉とか、メインのイベントとかに関わるにつれて、ここで活動したいと思うようになりました。
さらに、自分を大きく変え、もっと成長させてくれるにはここしかないとの思いがありました。
そして、自分の生き様を見せることで、多くの人の心を変えるような人間になりたいと思いました。
残念ながら、まだその域には達していません。人生すべてをかけていく必要があるでしょう。
結果として、大学は留年することになりましたが・・・
2004年5月
メインのスタッフになりました。
しかしその矢先、段々呼吸が衰え始めました。そして、人工呼吸器ユーザーのフォーラム(今夢宙センターがあるオスカードリームで開催)に参加したことをきっかけに、呼吸器を着けることになりました。
2004年6月末のことでした。
呼吸器を着けてどうなったかに関しては、またいつでも僕に聞いてください。
また、3月8日のイベントでも少し触れることになるでしょう。
2006年5月末 人工呼吸器利用が24時間に
ここが、僕が精力的になるスタートラインです。
国際協力で様々な国へ行ったり、研修生と遊びに行ったり、運動にもっと関わったり・・・・・・
夜遅くまで、事務所にいることも増えました。
本当にメインでの活動が楽しくなりました。
モンゴルセミナー道中 |
TRY2007inKOREA |
2012年コスタリカ |
2010年モンゴルセミナー |
2011年台湾 |
研修生と温泉 |
条例づくり会議後 |
甲子園ツアー |
イベント |
中南米研修 ホームステイ |
講演会 |
2011年台湾セミナー |
挙げればきりがないので、この辺にしておきます。
事務局日記、海外支援日記等で調べてみてください。
僕の活動はまだまだ進行中です。
これから何十年と続けていきたいところです。しかし、一番大事なことは、自分の役割を最大限はたしていくことです。
特に、人工呼吸器を取り巻く社会環境はまだ厳しい状況です。僕の人生を全て費やしても、完全には変わらないでしょう。
でも、何かをやらないと社会は変わりません。
一度、挫折した呼吸器の活動を今度こそ絶やすことなく続けていきたい。
今日はブログの場を借りて、今の僕の気持ちを綴らせていただきました。
最後に、今の僕があるのは多くの人の支えのおかげです。これからもよろしくお願いします。
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