2017年8月29日火曜日

ふた昔前は適当さがおもろいメインストリーム協会

みなさん、こんにちは。
先週の中頃まで「腎盂腎炎」で高熱を出し入院していたシモジが今日のブログを書かせていただきます。
とは、言ったもののまったく行事もネタも無い日なので、ちょっと昔のメインストリーム協会のことを思い出しながら書いてみたいと思います。

でも、ちょっとだけ朝の様子のメインストリーム協会見てください。

9:40掃除前なのに人はこんな感じでした。

火曜日の朝礼が終わった後ですが、人はそんなに増えて来ませんでした。

メインストリーム協会は、色んな人からよく面白いところだと言われる。自分でも日本一面白い自立生活センターだと思っている。
では、どんなところが面白いのかと聞かれると、一言で説明なんて出来ないので、自分がメインストリーム協会と関わり出した頃から思い出しながら書いてみたいと思う。
1992年に西宮市与古道町に駐車場を改造した7坪の小さい場所が最初の事務所を借りることが出来た。良く事務所にいた主な面子は、廉田、佐藤、玉木、チュウゲン、ホンカツ、下地で1週に何度か来てくれる人が、ボランティアの八代さん、坂東さん、そしてメチャオモロイ会計の井上さん(唯一70)でした。面白いエピソードが沢山あるのでが、丁度20年前の話なので知らない人も多いので今日は控えることにする。
その時の事務所の様子は、ケン玉をしている人、ボーリングの玉磨きをしている人、競馬新聞や漫画を読んでいる人、たまに真面目に仕事をしているかと思えば「地球の歩き方」を参考に旅行の計画をたてている人がいる。
また、ハチマキのおっさん(代表の廉田)が珍しく朝10時に事務所に来たかと思えば、「昨日から狙っているスロットマシーンの台があるからといいパチンコ屋へ行って後で来るわ」と言って、近所のパチンコ屋へダッシュ!
自分とチュウゲンも2人になった時も勝手に午後の2時や3時で「今日は事務所閉店」などとかってに決めてパチンコ屋へダッシュ!
パチンコが飽きたら2、3時にみんなで相談して今日は、特に何もない日やということが分かればみんなで「ボーリング場」へダッシュ! 自分を除いてほぼ全員が毎日10ゲームするという日々だった。

真面目にやっていることと言えば、西宮市に対し介助制度をつくってもらうために西宮市に交渉や兵庫県に「障害者まちづくり条例」をつくるための交渉に全力を尽くすぐらいで、あとは本当に暇だった。当時、アテンダントの派遣時間は一ヶ月で自分自身が使っているサービス利用も含めてトータル600700時間程度だったので、コーディネートなどの事務的な仕事がそんなに必要ではなかったからである。
現在では、自立生活を送っている障害者だけで40人、アテンダントも170人を超え、派遣時間数も一か月14000時間を超えるようになり、20数年前に比べると色んな仕事も増えてきた。だからと言ってみんな必死に事務的な作業ばかりやっているわけではなく、どこかに遊び心を常に入れながら仕事をしている。
実はメインストリーム協会では仕事は6割遊び心を4割で楽しみながら仕事をやって行くことをモットーとしている。これが、メインストリーム協会のスタッフ一人一人が気持ちに余裕が持てて個性を最大限発揮できる秘訣ではないかと思う。このモットーは昔から廉田によって引き継がれているものだと思っている。

一つ自分が昔メチャ印象に残ったエピソードを紹介したい。
メインストリーム協会がたちあげて1,2年たった頃、しあわせの村で100人を超す会合があった。コメンテーターかゲストの役割で廉田が壇上で堂々と競馬新聞を読んでいたところを司会の人に「廉田さん、赤ペンを片手に何をしてはるんですか?」と突っ込まれ、廉田はすかさず「これからの障害者、特に代表の自分は常に自己選択自己決定を求められるので、その訓練をしていました」と答え、会場を大爆笑の渦にして誤魔化していた。自分はそんな意味の分からない凄さに惹かれたのだった。
今思ってみると、それこそが廉田の言う遊び心だったであろうと思える。
重度の障害当事者の自立生活は遊びからスタートすると信じていて、もちろん自分もその一人であり、今後もこの生活を継続しながら自立を営もうとする障害者に伝えていきたいと思う。
そして最後に一言。楽しく生活していくことと貧乏は親戚みたいなものなので、そこは障害者は覚悟を決めなければならない。
どうせ障害があればたいした長生きはできないと思える。
だから、遊べ、遊べ!!

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